高齢者問題

【夜勤明けの介護日誌2】あの歌はもう聞こえない|ある利用者の決断と生き様

※「夜勤明けの介護日誌」は、実際に僕が介護福祉・医療の現場で出会った人との実話を元にした物語です。

登場する人物名、団体名は全て架空のものです。

Grandmother

夜勤に入ったその時

僕は有料老人ホームの「夜勤専従」介護士として働いていてる。

勤務時間は17:00から翌朝の21:30まで。

ある日勤務に入るや否や、リーダー介護士に声を掛けられた。

「ままるさん、聞きました?」

ある程度覚悟はしていたから、リーダーのその言葉だけで充分伝わった。

「はなさんが、ご逝去されました。」

そうか。

はなさん、逝ってしまったんだね。

「今朝の8:30でしたよ。」

リーダーもなんだか寂しそうに言った。

「ご家族も一緒で、安らかな最後でした。」

そうでしたか。

それを聞いてほっとしました。

今から始まる夜勤。

もう、はなさんはいないんだね。

はなさんとの出会い

僕が有料老人ホームで働き始めた時、担当である4階の名物利用者が「はなさん」だった。

97歳のはなさんは、小柄でいつもしかめっ面をしていた。

居室内は歩行するけれど、食事のときは食堂まで車イスで誘導していた。

はなさんは寡黙な人だった。

話しかけてもほとんど反応がない。

認知症の度合いもひどく、よく夜中は居室で壁に向かってひとりで話しをしていた。

日中は静かなはなさん、夜中には動き出す癖がある人だった。

おぼつかない足取りで、居室内を歩き回り、壁に向かって話しかけていたと思うと手拍子をしながら大声で歌い出すこともしばしばあった。

僕が夜勤の時は、そんなはなさんを明け方に眠りにつくまで、なだめ続けるのが通例だった。

はなさんの性格

はなさんは、一言で言うと頑固なひとだった。

食事を終えると、利用者の皆さんに居室内で口腔ケアをしてもらう。

自力で出来る方はもちろん自分でしてもらうが、はなさんのような状態だと自分では一切やらないので、介護士が介助を行う。

まず上下に入っている入れ歯を本人から取り出し、それを洗浄する。

その後本人にうがいをしてもらうのだけど、はなさんはこの行為がいささか難しい。

気分が乗らない時は、ガンとして入れ歯を外させない。

そういった時は、少し時間をおいて再チャレンジするのが通例だけど、なかなか難しいのがはなさんの特徴でもあった。

後期高齢者になると、排泄が不自由になる人が多い。

そんな中ではなさんは、必ずトイレで排泄する人だった。

夜中に一人でトイレに行き、きちんと済ませていたこともあった。

介護士からすると、一人歩きは転倒のリスクがあるからトイレの時は呼んで欲しいのだが、はなさんの部屋からは何度説明してもナースコールの呼び出し音が鳴ることは無かった。

高齢者の転倒

僕の担当する4階では、はなさんはとにかく要注意人物だった。

ご家族を含めた人々の考える生活プランの中では、はなさんの転倒リスクは相当高かった。

それは誰しも分かっていたが、極力「見守る」しか方法は無かった。

通常、夜勤帯は3時間ごとの「巡視」が行われるが、はなさんだけは一時間ごとに行う必要があった。

僕ははなさんを転倒させたくなかった。

高齢者の転倒は、大腿骨の骨折を伴う事が非常に多い。

それだけ骨がもろくなっていて、軽い転倒でもあっさり骨折してしまうのだ。

僕が病院で看護助手をしていたとき、そういった患者さんは山ほどいた。

高齢になると心臓やその他の病気の為に、骨折しても手術が出来ない場合も少なく無い。

骨折しながらも、その猛烈な痛みに耐え忍んでいる間に他の筋肉が衰えて自力歩行出来ていた人でも、一度の転倒で寝たきりになるケースは非常に多い。

はなさんのように自力で歩行出来る「後期高齢者」「認知症」の方は、転倒するリスクが非常に高いが、僕はその結果もたくさん見て来たので、せめて自分の夜勤帯の時は、絶対に転ばせたく無かった。

だから僕は、はなさんの居室を30分おきに巡視することにしていた。

はなさんの転倒

そんなはなさんが、僕の夜勤帯の時についに転倒事故を起こした。

巡視していた30分の間に、居室内を移動している時に転んだ。

大きな物音がして、走ってはなさんの居室に向かうと、床にはなさんが倒れていた。

幸い大きな外傷も無く、骨折は免れた。

適切な処置を行ったが、本当にいつ大きな事故に繋がるか分からない状態になった。

はなさんの決断

その転倒事故と前後して、はなさんの食事量はみるみる減って行った。

介助しようとしても、ガンとして口を開けず、しまいには薬も吐き出すようになった。

一週間ほど、食べ物も水分もほとんど摂らない状態が続いた。

ご家族とも相談していたが、結果そのまま「見守る」という決断が下された。

そうなるとはなさんの体力は、当たり前のように日々減退して行く。

僕が行った次の夜勤時は、足はふらふらになりいよいよ歩行が困難になっていた。

そんなはなさんに

「はなさん、がんばろうよ」

と返事など期待せず、僕は話しかけた。

すると

「もうダメだ。つかれたよ」

とその夜、はなさんは僕にハッキリ言った。

はなさんが、僕の会話に返答してくれた最初で最後の言葉だった。

介護士のリーダーから、はなさんご逝去の知らせを聞いたのは、その夜勤が終わった二日後の夜勤の日だった。

さようなら、はなさん

はなさんは97歳でその生涯に幕を下ろした。

最後はまるで、自分で自分の命に決別するかのようにこの世を去った。

はなさんは認知症だった。

でも最後の最後まで、寝たきりにはならず排泄はトイレで行った。

はなさんは、認知症でぼんやりする頭と自分の本当の意志とを闘わせていたような気もする。

自分で引き際を選び、そして旅立って行った。

ご逝去する数時間前、ご家族が歌うといつもの手拍子をしていたという。

きっと今頃思う存分、大好きな歌を歌っているんだと思う。

僕ははなさんに「生き様」を見せられた。

ありがとう、はなさん。

夜勤で勤務して、その朝にご逝去されたはなさんの居室にまっさきに向かった。

そこには、いつものはなさんの匂いだけが残っていた。

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