こんにちは、現役介護士のさかもと ままる@mamaru0911です。
僕は43歳「無資格・未経験」で異業種から、介護福祉・医療の業界に転職して来ました。
現在僕は現役の「派遣介護士」として、都内の有料老人ホームに勤務しています。
右も左も分からないまま介護業界に転職して、早いもので今年で4年目をむかえようとしています。
僕自身日々「高齢者」である利用者さんと接していて、介護職に就く前と現在とでは「高齢者」のイメージに対して大きな違いがあることを実感しています。
東京・池袋で4/19に起きた、87歳男性が起こした連続交通事故。
またしても起こってしまった「高齢者の暴走」「危険運転」「死亡事故」。
マスコミは連日この事故について報道し「有識者」と呼ばれるコメンテーターは、それぞれの見解を述べているけれども、僕にはどうも腑に落ちない点が多すぎるのです。
「高齢者による危険運転」「高齢者による死亡交通事故」
その決定的な具体的解決策は、実は誰でも分かっているはずですが一向に「口に出して言う」気配がありません。
それならば、日々高齢者と接している僕がハッキリと言うしかありません。
こうすれば「高齢者による痛ましい死亡交通事故」は劇的に減るはずです。
今日はそんなお話です。
目次
池袋87歳暴走死亡事故
事故の概要
連日の報道でご存知の方も多いと思うこの事故ですが、元官僚である87歳男性が、4/19午後、東京・池袋の路上で乗用車を運転中に次々と10人もの歩行者らをはね、31歳と3歳の母子の命まで奪うと言う凄惨な事故でした。
あまりのも理不尽な事故
事故に巻き込まれ、怪我をした方々はもちろんあまりにも理不尽な理由で命を落とさなくてはいけなくなった母子には、掛ける言葉も見つからない位です。
ご遺族の方々含め本当に御悔やみ、ご冥福をお祈り致します。
もし
あなたの奥様やお子様、愛するご家族が今回の事故で亡くなった、怪我をされた方々と同じ境遇であったなら、いったいどう感じますか?
「ただ平和で普通の日常を過ごしていた」
人々が、一瞬で命を奪われる。
こんなことが許される国で、日本は良いのでしょうか?
なぜ高齢者による運転事故は後を絶たないのか?
高齢者による死亡事故は増加の一途
高齢者の運転による、車の死亡交通事故は年々増加しています。
それはよく考えれば当たり前のことでもあります。
高齢者の数は年々増え続け、国民の「三人に一人」が65歳以上である「超超高齢化社会」に日本はもうすぐ突入します。
毎年130万人以上が寿命により死んでいく国
そんな国は歴史上存在したことがありません。
日本の高齢化率は世界一です。
我々はそんな国に住んでいるのです。
社会の仕組みを今すぐ変えなければ、とんでもない事になると思いませんか?
社会の仕組みを変えなくては
世界でどこの国も経験した事の無い「超超高齢化社会」が来る事は、実は誰でも知っていることです。
しかし社会の仕組みは今までと変わらぬままです。
「高齢者運転による死亡交通事故の増加」
はその影響の一つであると僕は強く思います。
時代は変わっています。
ならば社会の仕組みも変わらなくてはいけないはずなのです。
現状の高齢者に対する免許制度
「運転させるため」の制度ならいらない
現状、高齢者が免許を更新する時必要な制度をざっくり言うと
- 70歳以上=高齢者講習
- 75歳以上=高齢者講習+認知機能検査
と言う事になります。
2017年3月に改定された道路交通法によるものですが、現在のこの免許制度で高齢者による「交通事故」が防げるのでしょうか?
現在75歳以上の方に対して行われている「認知機能検査」は非常に単純なものです。
これは「高齢者に運転させない」為の制度ではなく「高齢者に運転させる」為の制度です。
多くの認知症の方々と日々接している現役介護士の僕からすれば、「認知症」も「高齢者」もそんなに単純な物ではありません。
なぜ現状はこれほどチープな制度なのか?
国は急増する「高齢者運転交通事故」の対策として、何らかのスタンスを見せる必要がありました。
その結果が現在の高齢者に対する「見せかけの」免許制度なのです。
現在の免許制度のままでは、今後も高齢者運転による交通死亡事故は後を絶たないでしょう。
なぜ国はこのような制度を現在も行っているのでしょうか?
正解は簡単です。
利権ですよね。
高齢者が運転しなくなっては困る
75歳以上の免許保持者
75歳以上の免許保持者は500万人以上、この先も数年で大きく増加していきます。
ただでさえ少子高齢化で人口が少ない若者は「車離れ」も顕著です。
日本のトップ産業である自動車業界は、そのパイを「高齢者」に頼っているのです。
仮に65歳以上の高齢者が、車を一切運転せず70歳以上の高齢者が全員免許を返納したら、日本の自動車産業の内需は確実に崩壊するでしょう。
さらには車に関しては「免許」関係の予算も膨大な物です。
三年毎に行われる「更新費用」だけでも、莫大な予算が動いています。
ちなみに日本の警察には「交通違反」の際に強制的に徴収される「罰金」にも予算があることをご存知でしょうか?
交通違反の罰金は、警察の収入の屋台骨でもあるのです。
日本国内で「車を運転する人々」が少なくなれば、困る人が大勢いるんです。
その結果
高齢者に運転させるのは危ない事は百も承知
でも
運転してもらわなきゃ困る
人達が、先に書いた様な「でたらめな免許制度」を創り上げているのが、我が国日本なのです。
そのおかげで、全く罪のない人々の命が年々奪われている。
そんな国で日本は良いのでしょうか?
池袋の死亡交通事故の報道
有識者のコメント
テレビを見ていると「有識者」と呼ばれる人々が、各々のコメントを言ってます。
しかしその誰しもが、上に書いたような「構造的な」真実を知っているのは当たり前です。
しかし公の場では、誰もその事を言えないんですよね。
建前上の解決策
「有識者」たちはニュースやワイドショーの中で「建前上」の解決策を散々話しています。
- 自動ブレーキなどのシステム的なサポート
- 70歳以上の免許制度の変更(更新期間の短縮など)
- 免許返納の促しの強化
などです。
しかしどれもこれも的外れで、それでは高齢者による運転の交通事故が一向に減る訳が無い、と誰もが分かってしゃべっている様に僕には見えます。
現実に罪の無い人が日々亡くなっているのです。
次はあなたの愛する人が、被害に遭うかも知れません。
それでもあなたは今の様に「建前」を話し続けますか?
そこに何の意味があるのですか?
日本の免許制度を今一度考える
免許が取れるのは何歳からですか?
日本の自動車運転免許制度を今一度考えてみましょう。
日本で運転免許が取れるのは、何歳からでしょうか?
答えは
16歳からです。
原付、小型二輪、中型二輪などのいわゆる「バイク」「オートバイ」は16歳から免許が取得できます。
さらに18歳になると「普通免許」が取得可能になり車を運転出来る様になります。
ちなみに僕自身は、16歳の時に中型二輪免許を18歳で普通免許を取得しました。
いったいなぜ?免許は16歳からなの?
ではいったいなぜ、日本の運転免許は16歳もしくは18歳からでないと取得出来ないのでしょうか?
その通りだと思います。
しかし世の中には10歳以下でも飛び抜けたIQを持った子供がいたり、12歳で飛び級して大学に入学したりする子供もいますよね。
一概に
15歳以下=子供
だから責任能力が無い、だから免許は取得出来ない、では納得出来ない部分もあると思うんんですがいかがでしょうか?
法律で決まっているから
一番シンプルな答えは「法律で決まっているから」15歳以下の人は免許の取得が出来ない、です。
この「法律で決まっている」=「当たり前」のことは、特に日本人はあまり「なぜ?」とは考えない物です。
それほど日本の「法治国家」はよく出来ているとも言えますが、ここに日本の自動車免許制度を考える大きなヒントがあります。
高齢者運転による死亡交通事故を激減させる方法
免許制度に上限年齢を作る
現在の日本の運転免許制度では、70歳になると免許を「自主返納出来る」という仕組みしかありません。
これを
70歳で免許はその効力を無くし失効、次回の更新は不可能
こうすれば、日本の高齢者運転による死亡交通事故は大幅に減少すると僕は思っています。
下限があるなら上限もあるべき
先に書いた様に、日本の運転免許制度には「16歳から」という下限があります。
それを「なぜ?」と考える人は少ないと思います。
なのであれば、日本の運転免許制度に上限を設け「69歳まで」にしてしまえば良いのです。
日本の「法律上」運転免許は「16歳〜69歳まで」としてしまえば、今後の日本の超超高齢化社会でも我々全ての国民が「安全」「安心」に少しは暮らせる環境になると思います。
免許に年齢の上限がある国
現在のところ免許の保持に「上限」を設けている国は僕の知っている限りありません。
重ねて言いますが
日本の高齢化率は世界一です。
その「ナンバーワン」の日本だからこそ、この「免許上限制度」を作るべきだと僕は思います。
免許上限制度が出来ない3つの理由
理由①車に関する利権
とは言えこの「免許上限制度」が日本で実現出来ない理由もハッキリしています。
理由の一番目は先に書いた、日本の車における「利権」のせいです。
限られた一部の人々の「お金」における算段が、この制度の制定を阻止することは目に見えています。
理由②免許が無くては生活出来ない人々
日本国内には、東京の様に交通の便が良い地域だけではもちろんありません。
地方にいけば「車社会」「車が無いと生活出来ない」という人々も大勢います。
そんな人々にとって「69歳上限制度」は死活問題です。
それに取って代わるインフラを、日本国中で一気に稼動させるのは現実的ではありません。
理由③「老いを認めない」人々の反感
最後の理由は「老いを認めない」人々の反感です。
当たり前ですが人間はある日突然「年を取る」訳ではありません。
1年、1日、1分、1秒の積み重ねが人に「老い」を与えるのです。
しかしこの「当たり前」のことに気がついていない人々が、世の中には非常に多い気がします。
その結果「今までは大丈夫だった」「何十年も運転しているんだから」という思いで、罪も無い人々を死亡事故に巻き込む高齢者が増え続けるのです。
世間は認知症を知らなすぎる
介護士と高齢者
僕は介護士になる以前、今の様に「生」と「死」を考える機会は少なかったように思います。
介護士になって日々介護現場で高齢者と接していると「生きるとは何か?」「死ぬとは何か?」という問題に関して、否が応でも考えさせられることになります。
僕も含めて世間の多くの人は
「高齢者」と「自分」を全く違う物だと勘違いしています。
しかし「老い」や「死」は平等に僕ら全ての人間に関わる問題なのです。
この記事を読んでいるあなたも、いつかは必ず「高齢者」になります。
認知症の現実
僕が現在、日々関わっている高齢者のほとんどは「認知症」患者です。
「認知症」は脳の病気です。
言わずもがな人間は、脳で考えその判断指令が手足を動かし行動する生き物です。
その中枢である「脳」が蝕まれる「認知症」の恐ろしさは、認知症患者に接したことが無い人には理解出来ないものでしょう。
誤解を恐れずに言えば、認知症患者にはその「常識」も「法律」も関係ありません。
本能と感覚のみで判断し手足を動かし行動します。
例えば認知症患者が「車を運転する」。
認知症の現実を知っている人であれば、それがどれだけ恐ろしい事か分かるはずです。
認知症の進行スピード
今回池袋の路上で「死亡交通事故」を起こした男性は87歳。
2017年に現免許制度に従って「認知機能検査」をパスし免許を更新した、と報道されています。
僕が勤務する有料老人ホームでは、自分の身の回りの事は自分で出来る「自立した」生活を普通に送っていた高齢者男性が、一月もしないで「自分で排泄が出来ない」「自分の居室が分からない」「今日が何月何日か分からない」ような状態まで認知症が進んだ方がいました。
たった一ヶ月です。
80代も後半の高齢者に、2年3年という期間はあまりにも長い。
現役で介護現場で働く介護士や、介護に携わった事のある人であれば、いかに現在の免許制度が「恐ろしい」ものか分かるはずです。
最後に
高齢者の危険運転を無くす方法
高齢者の危険運転、交通事故、交通死亡事故を無くす「本当の方法」「最良の改善策」は、日本の免許制度に「自主返納」ではなく「強制失効」の年齢上限を持たせることです。
しかしこの方法は、よほどのことが無い限り現実に施行されることは無いでしょう。
高齢者のプライドの先
「若い物にはまだまだ負けない」
いつの時代も、誰でも「自分の老い」に抗う気持ちがあります。
それを世間では「高齢者のプライド」「自尊心」と呼ぶ人もいます。
しかし人生数十年生き抜いた「高齢者」であれば、その「プライド」の矛先を違う向きに向けるべきでは無いでしょうか?
「自分は大丈夫」「自分はまだ若い」
では無く
「自分は70歳になったから」「自分は75歳になったから」
潔く身を引く覚悟を持つ。
それが「高齢者が持つべきプライド」ではないか?と僕は思います。
万が一の時に、人様に迷惑を掛けたら、あなたが長年積み上げて来た人生は全て「無」になります。
自分はおろか、怪我や死亡させてしまった被害者の方、そしてその遺族。
何より自分自身の家族にも多大な迷惑をかけてしまいます。
20代30代であれば、多少の失敗は取り返しが効きます。
しかし70代80代で大きな失敗をすれば、それを取り戻す「時間」があなたには残っていません。
僕自身、16歳のころからバイクが好きで45歳になる今も「オートバイ」が唯一の趣味です。
その最愛なる「モーターサイクル」も70歳になったら自分がどんなに健康でも僕は乗る事無く免許を返納します。
ひょっとしたら65歳なのか、自分の心と体の状態でもっと早くなるかも知れません。
「大好き」ということはそういうことです。
仮に70歳で「大好き」なオートバイを運転中に誰かを死亡させる事故を起こしてしまったら。
僕の「大好き」なオートバイ人生の全てが失われてしまうからです。
本当の「プライド」とはそういうものです。
誰かに「勝った」「負けた」とかいう質のものであれば、それは本当の「プライド」とは呼べないと僕は思います。
初めて免許を取って、バイクにまたがった16歳。
まるで昨日のように思いますが、あれからもう30年が経ちました。
僕が「大好き」なバイクに乗れるのもあと20年ほどです。
その分、心の底から「オートバイ」を日々楽しみたいと思っています。
日本の全ての人々へ
僕は間違いなく、日々「老い」へ進んでいます。
「45歳の若造が何を言うか」
と諸先輩は言うかも知れません。
しかし「老い」を実感するというのはそういうことです。
「老い」は全ての人々に平等に訪れます。
日本人の多くの人は「自分の老い」や「自分の死」に対して、真剣に向き合っていないような気がしてなりません。
「自分の死」に向き合わないと言うのは、対極の「自分の生」に向き合っていない、ということでもあります。
「死」があるから「生」に全力を尽くす
「生」に全力を尽くした人生を送った人は、自分の「老い」を認められるものです。
日本の全ての人々が、今回の池袋「87歳」高齢者死亡交通事故の報道を見て、この事に気がついてくれることを切に願って止みません。
他人事ではありません。
あなたの考え方が、この先の日本を作っていくのです。